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Japan Cavers Club II 代表 山内 正

日本における洞穴探検では、探検が進み、新洞が発見されることが少なくなった。特に洞口からの新洞の発見はほとんどないといえる。既知の洞穴のあるところから偶然に新発見がなされることはある。狭所(ディギング)、壁(クライミング)そして地底湖(ダイビング)がそのポイントである。特に地底湖は、手付かずの状態で残されている。岩泉町には龍泉洞、氷渡洞、安家洞などをはじめとして多くの地底湖が存在する。Japan Cavers Club IIでは、国際洞穴学会ケイブダイビング・インストラクター、ラマールハイレスを招致し合同で、これらの地底湖の潜水探検を進めてきた。
その成果としては、
(1)氷渡洞、龍堰の湖から5つのサンプをこえ828mの総延長を伸ばした。
(2)龍泉洞第4の壁から潜水して30年ぶりに第5ホールの存在を確認した。
(3)安家洞の姿見の池から潜水して、深さ20m、総延長80m進み、奥に空洞を発見した。

今回は、未知の領域である八郎沢の風穴のローマの水道で潜水探検を行い水中を83m進みさらに水中洞穴が続いていることを確認した。神保、豊田にとっては初探検にもかかわらず、映像と測量図を持ち帰った。

ローマの水道は縦穴の下部にあることや、途中で狭い所があることから潜水器材の搬入が困難であると予測したが、早めの準備やサポート隊員が経験豊富な強力なメンバーであったことが効を奏して比較的スムーズに搬入できた。また搬入ルートにあるムーンミルク(貴重な二次生成物)を避けたバイパスルートを開発して、その保護ができたのも収穫であった。

今回の探検では、神保、豊田の日本人だけによる初めての潜水探検が行われたことも大きな成果である。洞穴探検においてはウエットケイブとドライケイブの技術が求められるため、この探検が実施されるまでには様々な行動の積み重ねがあった。
第1に神保、豊田の海洋におけるダイビングのインストラクターとしての長年の経験と訓練。
第2に米国フロリダでのケイブダイビング教育を受けた。
第3に潜水リーダーの神保はラマールと共に、氷渡洞や龍泉洞に潜水し、日本での潜水探検も経験した。
第4に安家洞、あぶくま洞などの探検に参加してドライケイブの経験も積み探検技術の向上と測量技術も修得した。
こうして初めて第5次隊がプランアップし実現したのである。ともあれ今回の成果は、年々ケイブシステムの入り口にさしかかっただけであり、今後のさらなる探検の継続と成果に期待したい。
製図責任者:山田博明 編集:神保幹夫 作成日:2002年7月31日


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CL
山内 正
SL・渉外
菊池 正志
食糧
稲垣 雄二
潜水L
神保 幹夫
潜水
豊田 聡
装備
高田 学
記録
高橋 洋樹
緊急連絡先
佐藤 継郎
神保 幹夫

-目的-
1975年、第4次安家石灰洞穴群探検で実施した地下水系調査によって八郎沢の風穴をはじめとする相良向かいの穴、愁麗洞の地下水流の関連性を明らかにした。これにより、各々の洞穴は同一の水流によって形成された連続性の有るもので同一のケイブシステムと考えられる。このケイブシステムの排水経路として確認されている地下水流は、八郎沢の風穴のローマの水道を水源に相良向かいの穴を通り愁麗洞へと流下している。このローマの水道から流出する水流の水源は特定されておらず、ローマの水道奥部の探検がケイブシステムの解明の鍵を握っている。
本探検においては、ローマの水道からダイビングを実施しケイブシステムの範囲をつきとめることを目的とした。

-探検概要-
2001年1月に予備調査を、2002年2月23日〜26日に本探検を実施した。予備調査では八郎沢の風穴の洞口からローマの水道までの洞内情報の収集を目的とし、装備の搬入ルートの確認およびローマの水道の水位、水流調査、サンプの水中撮影を実施した。本探検では、洞内の保全を前提に潜水装備の搬入を行い、水質調査を実施するとともに、2名のダイバーがローマの水道から潜水し新洞部の探検および測量を実施した。
水質調査では、ローマの水道にて水温、pH、EC(電気伝導度)を測定し、試料をプラスティックボトルにて採取した。試料は、産業技術総合研究所 地圏資源環境研究部門 地下水資源環境研究グループにて溶存成分および環境同位体を測定していただいた。分析結果は後日、同研究所から発表される予定である。
新洞部の測量では、進入時にラインを固定しながらルートを延ばし、帰還時に固定ポイント毎にラインの長さ、水深、方位を測定し、洞幅と洞高は目測にて記録した。さらに、測量データより平面図と縦断面図を作成した。

-新洞部分の洞内報告「八郎沢の風穴」-  
*下図(八郎沢の風穴-相良向かいの穴新洞部の平面図)参照
地上から洞口そして地底湖までのルート整備と潜水器材を含めた装備の搬入に2日間を要し、予定通り2月25日午前10時過ぎに潜水準備にとりかかった。地底湖の水量は昨年1月の予備調査時よりも増しており、1m以上水面が上昇していた。水温は約9度、透明度は非常に良好で、水に溶け込んだ微細な鉱物のせいかライトの光で若干白く乱反射するが、水そのものの存在を感じさせないほど透視度は高い。
豊田と私は、地底湖のエントリー地点で装備のチェックと調整を済ませ、11時5分潜水を開始した。「ローマの水道」を水流の上流となる南方向へ約25m水面移動し、洞穴の水没地点に到達。「ローマの水道」の最上流部となるこの地点から先が未探検部分となる。水流はこの奥のサンプから流出し「ローマの水道」を満たす。サンプ手前の洞床は、水流で押し出されたと思われる礫が堆積し浅瀬を形成している。このときの水深は1.5m。右岸の壁にラインを固定し、サンプ1に潜水する。水中洞穴は南方向に伸び、緩やかに傾斜する。壁はかまぼこ型にきれいに浸食され、白い岩肌が目立つ。所々、板状の鋭い溶け残りの岩が縦に模様を造る。洞巾は2mから3m、高さも2m前後で多少の変化がある。水流はあるものの緩やかで潜水に支障を与えるほどではない。約17m直線に進み(01)のライン固定をする。水深3.7m、洞床は礫と砂で覆われている。ここから緩やかな登りになり、最初の狭小部に出会う。縦横とも1mほどで、壁に付着したシルトを落としながら通過する。洞床は礫のみに変化し、さらに登る。(01)から約12mで最初の自由表面1に到達。この水面は長径約4m、短径1.5mの狭い空間で、水中で東側の自由表面2と連結している。この2つの空間は同レベルの床で連結しており、潜り抜けた空間部は南に直線的に約18m伸びている。洞巾は約1.5〜3mで、両側の壁は垂直に切り立ち、天井高は4m以上ある。洞床は平坦で、水位は平均1〜1.5mであった。この水道状の空間は「ローマの水道」のミニチュア版といった状態で、方向もその延長線上に位置する。洞穴はさらに南に伸びサンプ2となる。サンプ2入口の右岸の壁に(04)を固定し、真直ぐ南方向に潜降する。浸食されたアーチ状の天井が緩やかに傾斜を続ける。ここでは、2人のダイバーが排気した泡が天井に沿って上昇する際に生じる雷のような音が水中で響く。(04)から約15m進むと水深2.9m、(05)を固定。さらに洞穴は下降し、このサンプの最深部5.4mに到達する。サンプはさらに直線を維持しながら上昇しはじめ、(05)から12mで(06)を固定。床は20cm以上の礫が多くなる。(06)から礫の斜面を約6m登りきると自由表面3が現れる。この自由表面3は直径約3mの円形で、天井はシャフト状に上方に伸びる縦穴を形成し、洞床には大小の礫が堆積している。この礫は大きなもので0.4mほどあり天井からの崩落を思わせるものである。水深は2.2m、(07)を洞床に固定し今回の最終到達地点とした。
潜水開始から53分、このポイントで折り返す。しかし、洞穴はさらに伸びており、サンプとなって南に続いていることを確認した。

潜水活動時間:73分
潜水時間:41分
最大深度:5.4m
平均深度:1.6m
水温:9.8度
電導度:143.8uS/cm
新洞部総延長距離:82.5m(ほぼ直線的に南に伸びる方向性を確認した)
-八郎沢の風穴-相良向かいの穴新洞部の平面図-

測量者:神保幹夫、豊田聡 製図責任者:神保幹夫 作成日:2002年2月25日

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山田博明、菊池正志

-洞穴概要-
名称:年々ケイブシステム・八郎沢の風穴-相良向かいの穴-愁麗洞
住所:岩手県岩泉町大字安家字年々
土地所有者:森林管理署
位置:八郎の風穴洞口 北緯39度59分39秒 東経141度46分10秒
各洞口標高:八郎の風穴284m・相良向かいの穴245m・愁麗洞207m
洞穴総延長:1515m
水流:(1)八郎沢の風穴ローマの水道を水源に相良向かいの穴を通り愁麗洞洞口下部から湧き出しワリ沢の水源となり大川(安家川)に合流する。このローマの水道から流出する水流の流入口は特定されておらず今後の課題である。
(2)ワリ沢上部で地表から流入した水流が愁麗洞最奥部から流出し本洞を流下する。洞口の約10m先の地点(左岸)から地下に没し愁麗洞洞口から約130m下方より湧き出し(愁麗の泉)大川に合流する。大雨の後、大川の中心部まで水が弧を描くように噴出していることがある。

1)八郎沢の風穴-相良向かいの穴(はちろうざわのかぜあな-あいらむかいのあな) 総延長:1103m
八郎沢の風穴の洞口は八郎沢を約110m直登すると大きな露岩の基部に開口する、長径70cmx短径30cmの三角形で深さ7mの縦穴である。着地地点周辺からは獣骨が採集されている。形状は階段状に-35mまで下る縦穴であるが、洞穴全体は弥生広場と呼ばれるホールを中心に水源となるローマの水道と相良向かいの穴に向かう洞穴がループ状に形成されている。洞床には激しい水流の跡を思わせる溶食跡や円礫が見られる。二次生成物はあまり発達しておらず、ローマの水道手前の天井付近につらら石、奥のゴルジュ手前のカーテンが目立つ程度である。しかしこれまでの洞穴はあくまでも年々ケイブシステムの排出口の出口付近であり、今後大洞穴に発展するかどうかは南に直線状に伸びるローマの水道の探検次第である。
相良向かいの穴は古くから発見されていた洞穴で南東に伸びる洞穴とその上層に発達する洞穴(洞口から+35m)、そして西南に直線状に伸び八郎沢の風穴と連結する洞穴で構成されている。洞口から南東に伸びる洞穴は30m地点から2つのサイホンが続きここから次第に階段状に登り、最後は木の葉やコウモリグアノが堆積するホールとなり地上に近接していることを覗わせている。二次生成物はフローストンが比較的発達しカーテン、洞穴珊瑚などがある。洞口周辺は縄文時代の住居跡ということで掘り返された跡が残っている。また第2ホールの壁面には洞穴に入り込み出られなくなった熊の爪あとが残されている。(1968年10月長谷川善和氏により熊の骨が採集された)

2)愁麗洞(しゅうれいどう) 総延長412m
洞口はワリ沢中央部の大きな露岩の基部に開口し、長径2.5m、短径30cmの細長い形状をしている。洞口直下からは湧泉(年々の泉)があり沢の源頭部となっている。1971年発見した時は岩や土砂等で埋まっていたが、風があることから掘削し奥部を発見した。洞穴は直線状に南南西に伸びる洞穴で部分的に上中下と三層を形成している。特徴的なのは下層にホールが3箇所あるが、支洞はホールから分岐している。二次生成物は上層に多く発達し、ストローは多数有り最長80cmのストローが確認されている。この他ヘリクタイト、カルサイトの結晶、ケイブパール、(天女の装い)と呼ばれるカーテン等繊細な二次生成物が多い。また下層に発達するフローストンも大きくはないが「白」又は「銀白」で美しく輝いていた。(現在では見る影もないほどケイバーによって荒らし捲くられているそうである)古生物は第3ホール(繚乱の間)にコーモリの骨が散乱していただけで他の獣骨はなかった。

-年々ケイブシステムに愁麗洞を加えた根拠-
1975年JCC第4次安家石灰洞穴群探検隊が地下水系調査を行い愁麗洞洞口前から出ている湧泉(年々の泉)が八郎沢の風穴-相良向かいの穴からの流水であることを明らかにしたが、相良向かいの穴流入口から年々の泉間は人間が通過していないことから愁麗洞を除外した。しかし同一の水流によって形成された地底空間が同一のケイブシステムとされており、愁麗洞洞口から深さ1.5m本洞に降りた地点の左側に天井高10cmで人の通過は不可能であるが年々の泉に流れ出る水流がある。またこの地点から本洞を12m奥に進んだ地点左側も天井が低く、通過不能であるが相良向かいの穴から年々の泉に流れる水流を視認することが出来る。このため愁麗洞洞口付近の空間は八郎沢の風穴-相良向かいの穴からの水流によって形成されていることが確認されるためここに加えた。

-集水域に関する考察-
年々ケイブシステムは、北は岩泉町川口から南は田野畑村三沢まで伸びる長さ12km、最大幅1kmの年々-三沢石灰岩帯のほぼ北端に位置している。年々ケイブシステムの流出口である年々の泉、愁麗の泉から最も近い湧泉は4km南までない。この地域の降雨は甲子山-野辺山間の尾根を境に、西側に流下した地表水流は石灰岩地帯にさしかかると自然浸透し通常年々沢まで達することはない。年々沢の水流は沢の右岸(東側)から合流する水流である。このため八郎沢の風穴の集水域は年々沢源頭部まで視野に入れる必要がある。

-今後の課題-
1)探検:八郎沢の風穴のローマの水道から奥部が最大のテーマである。この他特に水の少ない冬季に相良向かいの穴側の流入口、愁麗洞流出口側の再探検する必要がある。またワリ沢上部の風穴の再チェックも必要であろう。
2)測量:八郎の風穴-相良向かいの穴の簡単な縦断面図はあるが、精度的に問題がありケイブシステムの形成を考察する上でも愁麗洞の縦断面図とあわせて作成する必要がある。
3)保全:1975年、我々が探検して以来ここを訪れたケイバーは「ツーリストケイバー」がほとんどで、しかも自然に配慮した歩き方を指導できない「指導者」とは名ばかりの無知な連中が多く、二次生成物が「未必の故意」によって破壊されており、何らかのルール作りが望まれるが、この付近の土地は森林管理署の所有で、管理者が遠く離れておりケイバーの管理など出来る状態にはない。ちなみに入林届けを提出したのは今回我々が初めてである。
4)学術調査:地質、地形、水門学ともほとんど行われたことはないと思われ各分野の調査が必要であることは言うまでもない。ただ考古学的調査は相良向かいの穴洞口で行われ縄文時代の住居跡とされている。八郎沢上部の山中に開口する立臼洞では、トドの骨が発見されており年々地区の縄文文化解明のためにもこの周辺洞穴の考古学的調査が望まれる。

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菊池 正志

-探検の概要-
年々-三沢石灰洞穴群の探検は1961年に始まる。この隊は安家洞の探検測量を行った隊で相良向かいの穴の古生物調査を行っている。この当時、東京から年々地区まで東京-盛岡間急行9時間15分、盛岡から列車とバスを乗継ぎ安家まで6時間、安家から年々まで空身で徒歩2時間、単純に合計しても17時間。実際は乗継ぎ時間を入れると24時間近い時間がかかる位置にあった。盛岡から早坂峠を越えるバスはまだなく、浅内-岩泉間の線路は開通していなかった。大学探検部にとって徒歩が当たり前の時代、年々の洞穴を探検するには、安家元村からキスリングに食料、装備を詰め込み徒歩で2時間半を要した。このため年々地区の洞穴探検をする隊は安家地区に比較すると少なかった。
初めて年々地区の測量を行ったのは伊藤良吉氏であるが氏は単独行で安家地区や年々地区で測量を行っている。単独行の限界なのだろうが、彼は地元の人々が入っている部分までの測量で終了している。立命館大学探検部は初の広域調査を行い、伊藤氏入洞の翌日、桃の木洞サンドスキー場の狭小部を突破、奥部を発見し測量、1500mとした。
八郎沢の風穴(八郎穴・八郎の落とし穴)の初探検は立命大であるが、深さ5mと記録し奥部には入っていない。記録上は東北大学アドベンチャークラブらしいが、同大の第1次隊の記録がなく詳細は不明である。実質的に測量したのは千葉大学探検部である。その後、日本大学探検部が奥のゴルジュを下流に向かい突破、相良向かいの穴に連結し1020mとなった。1975年JCCが初めて地下水系調査を実施、下記の水系を明らかにし1432mとなった。

「年々ケイブシステム八郎沢の風穴-相良向かいの穴-愁麗洞」
ワリ沢地表水流 →ワリ沢流入口
水源 →八郎沢の風穴ローマの水道
奥のゴルジユ→相良向かいの穴→愁麗洞→愁麗の泉→安家川
年々の泉→ワリ沢→安家川
以後、1000m以上の洞穴は発見されていないが、今回年々地区で初めてのケイブダイビングが八郎沢の風穴で行われ、竜泉洞に遅れること34年、漸く年々の地底湖にも光が当てられた。

-八郎沢の風穴等の名称について-
1)八郎沢の風穴:この洞穴の名称は八郎沢にあるためか最初に調査した立命大は八郎穴と記載した。その後、日大、東北大が風穴。千葉大が八郎の落とし穴と記載したが、その後相良向かいの穴と連結、JCCがケイブシステムを明らかにし相良八郎穴と記載した。
しかし寅林在住の大沢留之助氏によると「昔からこの穴に近づくと天候が悪くなったり、大風が吹くので風穴と呼んでいた。雨が降らないときはワラ人形を作って雨乞いをした」という具体的な地元の方の証言があり名称を「八郎沢の風穴」にした方が適切である。さらに1975年の地下水系調査で水系が明確になっていることから正式名称は「年々ケイブシステム八郎沢の風穴-相良向かいの穴-愁麗洞」とする。
2)相良向かいの穴:相良向かいの穴とは文字通り、安家川対岸の立臼幸雄氏宅周辺が「あいら」と呼ばれていることに由来する。
3)愁麗洞:地元の地名でもなく特異な名称である。誰も知らなかった洞穴で、発見者が洞口を掘削し発見した洞穴なので発見者が名付けた。この洞穴はむしろケイバーのほうがよく知っていて、地元の人は知らない洞穴である。名称をつける場合、原則は野辺山新洞等のように地名から命名するようにしたい。
4)年々の泉・愁麗の泉:1975年地下水系調査時、この湧水に名称がないことから名付けられた。ただこの隊はヒアリングによる基本的なミスを犯していた。愁麗洞の沢を八郎沢、実はワリ沢。八郎沢(風穴の沢)の湧水を小根口沢の湧水とした。地元で通じる呼び方は年々の泉はワリ沢の湧泉、愁麗の泉は年々橋から上(カミ)の大川(安家川)に出ている湧泉である。


「年々-三沢石灰洞穴群リスト」

洞穴名 所在地 洞種 総延長 備考 調査団体
合砂の穴 川口 縦穴 -4m 洞口降下し横8m 日大
川口第1洞 川口 横穴 4m   日大
川口第2洞 川口 横穴 10m   JCCII
年々ケイブシステム 年々 横穴 1515m   JCCII
ワリ沢の風穴 年々 横穴 未探検 洞口で風有 JCCII
立臼洞 年々 縦穴 -15m 洞口降下しホール 日大
不帰の穴  年々 横穴 15m   立命大
うねめ平の穴 年々 横穴 15m   立命大・明大
桃の木洞 年々 横穴 1820m   千葉大・JCCII
年々久保穴 年々 横穴 137m   明大地底研
年々久保穴新洞 年々 横穴 56m   明大地底研
野辺山新洞 野辺山 横穴 42m   日大
野辺山第1洞 野辺山 横穴 5m   盛岡グアノ会
霧雨穴 野辺山 横穴 15m   立命大・立教大
「探検年表」
探検された洞穴の年代順に列挙した。この年表に記載されていないのは、JCCIIの川口第2洞横穴約10mと盛岡グアノ会の野辺山第1洞横穴5m、その他三沢地区に小洞穴有りとの情報があるが未確認である。湧水は年々の泉、愁麗の泉、オマルベ沢、松の脇沢、三沢の5箇所確認した。水質分析は2002年から産業技術総合研究所が行う予定である。

1961年  
8月 日本洞穴地下水研究会・日本ケイビング協会
安家洞探検隊 相良向かいの穴で縄文式土器発掘調査
1963年  
8月2日 名古屋洞窟研究会 伊藤良吉
桃の木平の穴(桃の木洞)年々久保穴平面図作成
8月3日〜14日 立命館大学探検部 第2次安家川流域学術調査 年々地区洞穴調査
桃の木洞奥部発見1500m、相良向かいの穴230m、年々久保穴75m平面図作成、八郎穴(別名:八郎の風穴)深さ5m、不帰の穴(別名:カラハシの穴)15m調査
1967年  
8月15日〜30日 千葉大学探検部 第1次安家・年々地区洞穴調査
桃の木洞地獄の地下道最奥部から200m延長。1700mとなる。
1968年  
7月23日 日本大学探検部 第2次安家地区洞穴群探検
合砂の穴(アイシャノアナ)深さ4m長さ8m、川口第1洞4m調査
1969年  
3月 千葉大学探検部 安家・年々地区洞穴調査
相良向かいの穴 探検測量を行い150m延長380mとなる。
7月24日〜30日 東北大学アドベンチャークラブ 第1次川口の風穴(八郎穴)調査
行動の詳細不明(翌年平面図縦断面図作成)
8月24日 日本大学探検部 第8次安家地区洞穴群探検
立臼達雄氏の案内で立臼洞発見(調査は1970年1月1日)。
深さ15m。長さ41m。千葉大学探検部トドの骨発見。
1970年  
1月2日 日本大学探検部 第9次安家地区洞穴群探検
田野畑村野辺山に菊地強一氏の案内で、野辺山新洞42m平面図作成
3月17日〜24日 千葉大学探検部 4次安家・年々地区洞穴調査
八郎の落とし穴(八郎の風穴)平面縦断面図作成。
深さ35m、全長492mとなる。
1971年  
6月8日 盛岡グアノ会 第1次安家石灰洞穴群探検
ワリ沢の湧泉(年々の泉)上部掘削 愁麗洞発見(412m)平面図作成
1972年  
10月20日〜27日 日本大学探検部 第15次安家地区洞穴群探検
八郎の風穴-相良向かいの穴連結 総延長1020mとなる。
1973年  
3月13日 立命館大学探検部・明治大学探検部 安家石灰洞穴群調査
うねめ平の穴(15m)調査
5月 THE AKKA SOCIETY(現JCCII) 立教大学探検部 立命館大学探検部 オマルベ沢源頭部 田野畑村側に霧雨穴発見(15m)調査
1975年  
7月23日〜8月6日 JCC 第4次安家石灰洞穴群探検(第4次混成隊)
年々ケイブシステム1432m(風穴-相良向かいの穴-愁麗洞)となる。
地下水系調査及び地上平面図作成
1985年  
1月1日〜2日 JCCII 1985年安家石灰洞穴群探検
桃の木洞地獄の地下道 奥部(67年千葉大第1次隊発見部分)200m測量、総延長1700m。
8月5日〜6日 明治大学地底研究部
年々久保穴測量137m 年々久保穴新洞測量56m
2002年  
1月1日〜2日 JCCII 2001年安家洞調査
桃の木洞 地獄の地下道最奥部から、120m新洞発見。
平面図作成。桃の木洞1820mとなる。
2月25日 JCCII 第5次安家石灰洞穴群地底湖探検 年々ケイブシステム(風穴-相良向かいの穴-愁麗洞) ローマの水道から83m潜水、さらに洞穴が続くことを確認。年々ケイブシステム 風穴-相良向かいの穴1103m-愁麗洞412m 総延長1515mとなる。

*探検年表作成協力:山田博明、岸本和明、芦田宏一(PCC) 文責:菊池正志

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「装備一覧」

ドライ ケイビングロープ20m(2)、ワイヤー梯子10m(2)、カラビナ(10)、ザック50L(12)、ターポリンバッグ(10)、グランドシート(4)、寝袋(1)、蝋燭(12)、カメラ(1)、ストロボ(2)、スレーブユニット(1)、ステンレスボトル、食料
測量 「ドライ」
クリノメーター(1)、メジャー30m(1)、折尺(1)、防水レベルブック(1)
「潜水」
ダイビングコンパス(1)、測量ボード(1)、水平器(1)、水深計/ダイビングコンピュータ(2)、メジャー20m(1)、ライン、防水レベルブック(1)、鉛筆(2)
水質調査 伝導度計、採集ビン
潜水 ボンベ‐12リットル200気圧+Hバルブ(5)、ウエイト(15kg)水中カメラ/ニコノスV+ストロボ(1)、水中ビデオ(1)、器材用工具一式
【ダイバー装備x2ダイバー】
ドライスーツ、フード、インナースーツ、フード、グローブ、マスク、バックアップマスク、フィン、レギュレター(2)、オクトパス、残圧計、BCD、ラインリール(150m巻)、セーフティリール(42m巻)、メインライト12W、バックアップライト(3)、ダイバーナイフ、ラインカッター、ダイバーウォッチ、ダイブコンピューター、フレオレシン、防水テーピング
個人装備 ヘルメット、ヘッドランプ、バックアップライト、替電池、予備電球、ケイビングスーツ(つなぎ)、下着、替下着、ブーツ、手袋(軍手)、レインウエア、コンパス、地図、計画書、ライター、時計
医療 洞内用医療パック(1)、BC用医療パック(1)

*装備 高田学 神保幹夫


「行動記録」

2月22日(金)




15:30
17:00
18:00
18:30
22:30
高田、高橋岩泉着、菊池と合流(菊池、山内、稲垣は先に合宿入り)、食糧買い出し
JCCハウス(宿所)着
山内、稲垣宿所着
夕食
就寝
2月23日(土)

6:00
7:00
8:14
8:28
8:35
8:36
8:45

10:00
10:12
10:31
10:42
11:10
11:23
11:45
12:10
12:55
13:07
13:45
13:52
14:04
14:14
14:20
14:38
16:30
18:50
22:10
23:30
起床
朝食
宿所発、車移動、道は所々凍結部分あり。(山内、稲垣、高田、高橋)
立臼さん宅着、挨拶
立臼さん宅着発
八郎沢の風穴の麓着(202号線を普代方面に行き、年々橋を渡り、20mほど行った地点。)
ラッセル開始(下車地点の山側に幅7〜8mの大きな岩盤があり、その左側を沢に沿って登って行く。
左右の山肌が近づく付近の左の斜面に洞口がある。)
八郎沢の風穴までのラッセル終了、下山開始
車着、荷上げ準備
荷上げ開始
洞口着、ラダー設置開始
全員入洞
もぐら道通過
ローマの水道着
昼食
昼食終了、出発
もぐら道着、ディギング開始
終了
洞口の下着、出洞開始
全員出洞、下山開始
車着
出発
宿所着
神保、豊田宿所着、合流
夕食、のち準備
準備終了
就寝
2月24日(日)

6:00
7:00
8:30
8:50
9:10
9:18
9:38
10:22
10:44
11:37
11:43
11:55
12:13
12:47
13:00
13:55
14:30
14:40
14:55
15:22
15:32
19:10
23:30
起床
朝食
宿所発、車移動(菊池、山内、稲垣、神保、豊田、高田、高橋)
八郎沢の風穴の麓着
荷上げ開始(荷物10個)
一回目洞口着
二回目洞口着、荷物を洞内へ
全員と荷物10個洞内着、先に6個をローマの水道まで運搬
もぐら道通過
ローマの水道着
残りの荷物を取りに行く、神保、豊田は潜水器材のチェック
洞口の下着、残りの荷物運び
ローマの水道着
器材チェック終了、ローマの水道水質調査(9.8度、143.8uS/cm)
昼食
昼食終了、出洞開始
出洞、下山開始
車着
出発、八郎沢の風穴のある山の裏側を見に行く
尻高大清水着、水質を計る(9.7度、124.6uS/cm)
宿所着
夕食、のちミーティング
就寝
2月25日(月)

6:00
7:00
8:08
8:26
8:39
8:47
9:15
9:30
9:55
10:48
11:05
11:30
12:07
13:20
13:52
14:36
15:15
15:41
15:51
16:00
16:18
16:38
18:30
19:05
20:30
22:01
23:40
24:00
起床
朝食
宿所発(菊池、山内、稲垣、神保、豊田、高田、高橋)
年々橋着
出発
八郎沢の風穴洞口着、入洞開始
全員入洞
もぐら道通過
ローマの水道着、潜水準備
水中で器材チェック
エントリー(神保、豊田)
昼食(交代で)
神保、豊田帰還、撤収準備
神保、豊田昼食
昼食終了、撤収開始
一回目洞口の下着(荷物6個)
二回目洞口の下着(荷物7個)
全員出洞
撤収完了、下山開始
車着
出発
宿所着、装備洗い、及び片付け
岩手日報社宮古支局 及川亜希子氏取材
夕食
取材終了
ミーティング
ミーティング終了
就寝
2月26日(火)

5:15
6:20
7:15
8:15
8:40
8:55

9:50
10:12
11:40
12:31
12:41
13:09
13:44
14:05
14:08
15:06
15:07
15:50
21:10
23:00
菊池 帰京
起床
朝食
宿所発、車移動、(山内、稲垣、神保、豊田、高田、高橋)、挨拶回り
工藤会長宅着、挨拶
終了、神保、豊田 帰京
消防署、警察、岩泉教育委員会、佐々木大和 県会議員宅に挨拶
終了
宿所着
昼食
宿所発(山内、稲垣、高田、高橋)
安家洞着、入洞
西本道の池の水位63cm
洗身の池着
帝王の座にて休憩
出発
出洞
宿所着
宿所発、買い出し
宿所着
就寝
2月27日(水)

8:00
10:15
14:35
15:15
起床
朝食
昼食
高田、高橋 帰京

「ミーティング記録」

2月25日 22:00〜 JCCハウスにて

神保 事前の準備(ラッセルやルート整備)が出来ていたからこそ入れたと思う。新洞部についてはローマの水道の方向性がそのまま続いていた。サンプを潜る→出るの規則性、いわゆる氷渡りタイプの穴だと判明したことが一番の発見。距離に関しては、到達した時点ではどの程度進んだか分からないが、その場でぎりぎりの部分で決断した結果。装備に関しては、今回に限った装備では簡略化出来ると思うので今後参考にしたいと思う。タンク容量、ライト蓄電容量を的確に次回は装備を組める。初めての場合、何かを考える時にも神経を使うので次回、今回伸ばした部分では余裕が出来るので、回を重ねて距離を伸ばしていくのがベストである。
豊田 ドライがまだまだ未熟、経験を積みたいと思う。日本でのケイブダイビングは初めてだったが、今回のローマの水道は温度以外は、経験した海外の穴に似ていてストレスが少なかった。次回する機会があればより効率よくいくような気がする。ビデオは役に立ったし記録としてどのように撮ればいいか分かった。測量がメインでなく距離を伸ばすことがメインであってもうまく撮れると思う。途中横穴があった場合などにどうするかの打ち合わせがもっと必要だった。寒さについても分かったが対応可能。今後距離を稼ぎつつ、かつ、安全性を求める方法もいくつか思い浮かぶ。経験を積むしかない。
稲垣 今回の合宿は非常に余裕のある結果になったと思う。計画の段階では準備とか搬入など大変かと思われたが、スムーズにいき本番も順調にいったと思う。このように余裕のあるスケジュールで探検を終われたことは非常に良かった。今回は日程に関してはいっぱいいっぱいだったのでしょうがないが、(欲を言えば)潜る日がもう一日あれば、下見とアタック等二本のダイビングで計画が出来るのではないかと思う(日程がとれれば)。
山内 本番の状態がイメージ出来なかったが、余裕を持ち穴を広げていたのはかなり良かった。結果的には、無事で終われたことが一番。やはり色々な人間のつながりで隊を組めたことが良かった。今までの経験で神保さんを信頼していて、神保さんの連れてきた豊田さんも信頼出来て、といったふうにうまい具合に歯車が絡み合ったと思う。計画段階で精一杯考えたことが良かった。レスキューに関しては、時間の要因もありアメリカからレスキューを呼ぶというのは現実的に問題があるが、現状では納得してもらうしかない。将来的には要員を増やす必要があるが、自分的にはアメリカからのレスキューを迅速にする方法を確立する必要があると思う。
菊池 計画書を一ヶ月前にはあげてほしい。デスクワーク(様々なシチュエーションを想定)する時間が必要。さらに洞穴が続いているにもかかわらず、冷静によくぞ引き返してくれた。
高田 感激したが、自分の役割からすれば特に話すことはない。荷物運びに関してはまだまだいける。
高橋 ケイブダイビングの危険性について少しは知っているのでダイバーが帰ってくるまではすごく心配だった。自分が潜るのではないので何も言うことはないが、少しでも安全性を高めるために機材は精一杯の注意をして運び、ダイブ本番に余裕が出来るような準備をする為には労力を惜しまないことが必要だと思う。
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この度の第5次安家石灰洞穴群地底湖探検では次の方々にご協力いただきました。
ここに記してお礼申し上げます。

- 敬称略 -

安家小学校および川口分校
岩泉警察暑および安家駐在所
岩泉消防署
岩泉町教育委員会
岩手日報社宮古支局
潟Gイケイブレイン
永福寺
大崎忠一
大崎正敏
大沢留之助
川口肇
工藤健
工藤勇吉
熊谷熹慧
佐々木大和
三陸北部森林管理署久慈支署および安家森林事務所
住友海上火災保険株式会社 AZ総合保険企画 加納正敏
立臼幸雄
玉沢文助
八屋勉
ピーター・トンプソン(ケイブダイブ・レスキューリカバリーコーディネーター)
潟crーディック
ラマール・ハイレス(ケイブダイブ・レスキューリカバリーチーム)
IBC岩手放送


「参考文献」
1955年:通産省仙台通産局 東北地方石灰石調査委員会 「東北の石灰石資源」
1964年:洞窟研究会 伊藤良吉 洞窟Vol.2 No.15 「岩手県安家地区洞窟誌」
1964年:立命館大学探検部「探査NO.2 特集:あっか」
1966年:立命館大学探検部「探査NO.3 安家第2次第3次洞穴調査」
1971年:千葉大学探検部 「年々地区調査報告書」
1971年:日本大学探検部「地底と樹海と氷原の世界に自らの生き甲斐を求めた男達の記録」
       -安家・青木が原・知床-
1970年:東北大学アドベンチャークラブ 「樗」第4号
1971年:岩泉町 「安家石灰洞穴群調査報告書・鍾乳洞測図集」
1971年:盛岡グアノ会「第一次安家石灰洞穴群探検報告書」
1971年:盛岡グアノ会「第三次安家石灰洞穴群探検報告書」
1972年:立教大学探検部「極限」
1972年:立命館探検クラブ「りつめいたんけん5号 その活動の記録1960-1972」
1972年:日本ケイビング協会 JAPANCAVING11号 菊池正志 アッカからの報告1「桃の木の寅」
1973年:立命館大学探検部 安家石灰洞穴群調査隊報告書
1973年:THE AKKA SOCIETY 「THE REPORT FROM AKKA」
1973年:日本観光文化研究所 -全国大学探検部による- 「戦後学生探検活動史」
1973年:東北ケイビング会 東北ケイビング2号 岸本和明「桃の木洞歳時記(1)」
1974年:JAPAN CAVERS CLUB・THE AKKA SOCIETY「第2次安家石灰洞穴群探検報告書」
1974年:東北ケイビング会 東北ケイビング3号 岸本和明「桃の木洞歳時記(2)」
1975年:日本ケイビング協会 JAPANCAVING 24号 アッカからの報告11
     THEAKKASOCIETY「安家石灰洞穴群中部洞穴リスト」
1975年:JAPAN CAVERS CLUB 第4次安家石灰洞穴群探検報告書
1976年:日本ケイビング協会 JAPAN CAVING 28号 アッカからの報告13 JAPAN CAVERS CLUB「75年夏の記録」
1980年:筑波大学環境科学研究科・安家プロジェクト事務局
     「生態系把握と住民参画に基づく山岳諸地域の活性化に関する比較研究」
1992年:日本大学学士探検会 日本大学探検部二十五年小史 「桃源郷III」
1994年:技報堂出版 日本地下水学会 「名水を科学する」
1999年:明治大学地底研究部 「安家石灰岩の洞窟調査報告書」
2002年:株式会社マリン企画 ダイビングワールド7月号 What’s Cave Diving PART1
2002年:株式会社マリン企画 ダイビングワールド8月号 What’s Cave Diving PART2

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